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「気になる!くまもと」Vol.995

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0105022 更新日:2021年7月19日更新

​宮崎 美子(みやざき よしこ)さん インタビュー

宮崎美子さんの写真

女優としてはもちろん、その博識ぶりで、クイズやバラエティ番組でも大活躍するなど、幅広い層から支持される人気者・宮崎美子さん。熊本地震以降は、多忙な日々でも時間を作り、さまざまな復興イベントに参加している。東京にいながら「私らしく、できること」を実践し、県民の心に寄り添い続けた彼女が、ふるさとへの愛と令和2年7月豪雨に寄せる思いを語ってくれた。

― 昨年芸能生活40周年を迎えられたそうですね。芸能界へ入るきっかけは何だったのでしょうか。

大学3年の冬、朝日新聞で『篠山紀信が撮る!週刊朝日“キャンパスの春”』の表紙モデルを一般募集しているのが目に留まりまして。当時、就職活動中でしたので「面接時のPR材料にならないかな」という思いが半分、「学生時代の思い出作り」という気持ち半分で応募したのがきっかけです。以前、友人に撮ってもらった写真がありましたのでそれを送りましたら、応募総数約1,000人の内50人の2次審査に進むことができ、最終的に合格者10人の中に選ばれ、『週刊朝日』の表紙を飾らせていただきました。東京で行われた撮影では、プロのカメラマンによる撮影が初めてということもあり、とても緊張していましたが、篠山紀信さんの実際の撮影は5分程度でアッという間。「早い!」とビックリしたことが印象的でしたね。

― 特大級の思い出になりましたね。

そうなんです。しかもその直後、篠山さんから「一眼レフカメラのテレビCMに出てくれる一般の方を探している。やってみないか?」とお誘いを受けまして。ちょうど春休みで時間がありましたし、ロケ地がサイパンでしたから「行ってみたい!」という理由でお受けしたんです。そうしたら、今度はそのCMがTBSのプロデューサーの目に留まりまして。当時、月曜から金曜のお昼に放送していた『ポーラテレビ小説』の次回作『元気です!』に出てみませんか? と声をかけていただきました。今のNHK連続テレビ小説のように、新人女優を発掘し起用していましたので、私にもチャンスが巡ってきたんでしょうね。まさかそんなお誘いが来るなんて思ってもいませんでしたから驚きましたが、「こんな好機はもう二度とないだろう」と思いまして、挑戦することを決めました。

宮崎さんの写真

― 当時はまだ大学4年生ですよね。

ええ。ですから『元気です!』の撮影中だけ東京に仮住まいをして、終わったら熊本に戻るつもりでした。ところが終わる頃になって、楽しさと同時に女優という仕事の難しさを感じるようになりまして。「何もできないまま終わるのは悔しいな」という思いから、この仕事を続けることを決めたんです。当時、大学の授業は水曜のゼミだけでしたので、『元気です!』の撮影後にいただいたオファーの中から、水曜が撮休になる『2年B組仙八先生』への出演を決めました。ドラマの撮影をしながら、水曜は熊本に帰ってゼミを受けるという日々。最終的に、1年多く大学に通っちゃいました。

― これまで演じてきた中で、特に印象に残っている役はありますか?

熊本城でロケを行った、黒澤明監督の『乱(らん)』(1985年公開)ですね。役柄というより、熊本城で行った撮影がとても印象に残っています。石垣に夕日が美しく沈むというシーンがあったのですが、その撮影が本当に大変だったんです。梅雨入りした7月の第1週の撮影でしたし、黒澤監督は雲一つで何時間も待つ方ですから、もうドキドキでした。

― 今後、演じてみたい役はありますか。

ひだまりばあちゃん(笑)。縁側でひなたぼっこをしているだけで、「この人が画面の中にいるだけで、なんだかホッとするね」と思ってもらえるようなおばあちゃんを目指しています。まだ、ちょっと先ですけどね。

宮崎さんの写真

― 宮崎さんのお話を伺っていると、「熊本愛」を強く感じます。

熊本ってゆったりした「豊かな田舎」だと思います。水も緑も山も海もきれいで、食べ物もおいしい。本当に底力を感じます。私にとって故郷ですし、いつも身近にありますね。熊本でのレギュラー番組も持っていますので、撮影のため定期的に訪れていましたが、今はコロナの影響でそれも叶わず……。昨年は2回しか戻れなかったのが残念ですね。

― その内の1回が、県南地域を中心に甚大な被害をもたらした令和2年7月豪雨の前日で、ちょうど人吉市をロケで巡っていたそうですね。

やっと、行けたロケだったんです。SL人吉に乗って人吉に行き、車窓から見える川の情景をご紹介するというのがテーマのひとつ。また、人吉市内の鍛冶屋町をめぐり、お茶や鮎、花手箱などをご紹介しました。皆さんからお話を伺うと「本当に街が好き」というのが伝わってくるんですよね。それに、人吉って街が豊か。空が広くて、川がゆったり流れていて、そこで暮らす人がやさしくて。駅に着いた時に女将会の皆さんが、ピンクの法被(はっぴ)を着て迎えてくださったことがとても印象に残っています。ロケ当日は、梅雨末期特有の空気が水気を吸って、重たい雰囲気でした。雨は降っていたんですが、撮影に支障が出るほどではありませんでしたので楽しくて。私が訪れた数時間後に、あんなに甚大な被害をもたらすことになるとは、夢にも思いませんでした。

― その後、昨年10月には被災地を再び訪れたそうですね。印象に残ったことはありますか。

温泉旅館は川沿いの景色がいいところに建っていましたから、「水害からしばらく経ってもまだまだ大変だな」というのを身にしみて感じました。それでも「故郷が好きだし、これからもここで頑張りたい」という皆さんの思いがじんわりと伝わってきたのが印象に残っています。以前、NHK大河ドラマの撮影で、SLを特別に走らせてもらい、くま川鉄道の駅舎で撮影したことがあるんです。金栗四三さんを送り出すシーンだったんですけど、昔の風情を残す駅舎が被害を受けたかと思うと、とても残念で辛い気持ちになりますね。

宮崎さんの写真

― 人吉も少しずつ復興が進んでいまして、観光拠点施設『HASSENBA』が令和3年7月4日にオープンしました。

人吉球磨地域に住んでいる方たちの郷土に寄せる思いの強さ、つながりの深さはとてもよく分かりますので、「ジワジワでもきっと前に進んでいるんだろうな」と思っていましたが、そういう便りを聞くと「ああ、やっぱりな」と嬉しくなりますね。今は県をまたぐ移動がしづらい状況ですが、自由に行き来ができるようになったら泊まりに行ったり、久しぶりに球磨川くだりをしたり、できることをしたいですね。それまでもうしばらく、地元の方には頑張っていただき、私たちは外から見守っていきたいですね。つくづく、コロナ禍でなければ……と思います。だって、行きたいんですもん! 応援するには行くのが一番じゃないですか。そこでおいしいものを味わい、温泉を堪能し、「こんなにいいところだよ」って発信して、大勢の人にきてもらえるようにお手伝いする。それができるようになることを、手ぐすね引いて待っています!

― また、熊本は熊本地震からの復興途上でもあります。

今年4月11日に、熊本地震からの復興を祈念して行われたコンサート『熊本地震発生から5年「私たちの未来」』で、発災当時に学生だった方たちが作った詩を朗読させていただきました。5年前に中高生だった方たちの詩なんですけど、「こんなに大変な目にあっても熊本が好きだ。これからもここで暮らしていけたらいいな」という内容が多かったんです。そこにとても感銘を受けました。「5年経ってみんなどうしているかな?」と気になります。

宮崎さんの写真

― これからの熊本に期待することを教えてください。

持ち前の頑固さを発揮しつつ、いいところは取り入れながら持っているものを生かし、他にない場所であってほしいですね。以前は「いいものはあるのに発信力が……」と思っていたんですけど、今はくまモンもいますし、発信力は抜群。私もそのお手伝いができたらいいなと思っています。熊本に住んでいる方はもちろん、私のように県外に住んでいる人たちも、気持ちは故郷に置いてあると思います。それを知ってもらうことで、ちょっとでも心強く思ってもらえたら嬉しいですね。

宮崎さんの写真

Profile

1958年熊本県生まれ。父親の転勤で小学2年生から他県に移り住むが、高校2年で熊本市内に戻り、県立熊本高等学校に編入学。熊本大学法学部に進学する。大学在学中に、ポーラテレビ小説『元気です!』で主演を務め、女優デビュー。昨年10月に発表した、自身初のカレンダー&フォトブックも話題に。2021年9月には、レコードデビュー40周年を記念したCDを発表予定。