ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 ホーム > 気になる!くまもと > 特集 > 令和3年6月10日配信分 > 「気になる!くまもと」Vol.990 スザンヌさんインタビュー

本文

「気になる!くまもと」Vol.990 スザンヌさんインタビュー

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0098285 更新日:2021年6月10日更新

スザンヌさんの写真

 「34歳の高校生」として、今春高校に再入学したことでも話題を集めたタレント・スザンヌさんのインタビュー。中学校まで熊本で過ごし、福岡・東京での芸能生活を経て、2015年から活動拠点を熊本に移している。人と自然に恵まれたふるさとで、家族との穏やかな日々を大事にする彼女が語ってくれた、ありのままの幸せを感じる暮らしのこと、生き方のこと。

―スザンヌさんは小さい頃、どのような子どもだったのでしょうか。

 生まれ育った植木町(現、熊本市植木町)でも、そのあと引っ越した熊本市でも、住んでいたところが自然いっぱいのところで。毎日元気よく田んぼのそばを走り回るような、本当に活発でやんちゃな女の子だったんですよ。小学1年生の時から母が働きに出ていたので、平日は妹と2人で祖母の家に帰っていました。そのおかげで、私たち姉妹は今でもとってもおばあちゃんっ子なんです。私のおばあちゃん、もう86歳になるんですけど、本当にいつまでも若くて、今でもパワフルなんです(笑)。

スザンヌさんの写真

―どのような経緯で芸能界へ進まれたのでしょうか。

 最初のきっかけは熊本市の「お城まつり」なんです。街なかのアーケードを練り歩きながら、鼓笛隊の皆さんと一緒にバトントワリングをするお姉さんたちを見て、「私もこんな風にたくさんの方に見てもらうパフォーマンスがしたい!」と思ったんです。今思えば、それがきっかけだったというか。それからすぐにバトントワリングを習い始めて、ちょっとずつ夢が大きくなっていったんです。
 それから本格的に芸能活動を始めるため、高校は芸能コースがある福岡の学校に進学することにしました。最初は家族や友達と離れたくなくて、入学するまで「行きたくない!」って思っていたんですけど、そのとき背中を押してくれたのがおばあちゃんでしたね。実際に通いだしたら、まあ楽しくて(笑)。芸能コースということもあって、全国から芸能界志望の人が集まっていて、毎日がとても新鮮でした。そのあと、芸能活動が忙しくなったこともあって、高校は中退して拠点を東京に移したんです。

―2015年から活動の拠点を熊本に移されましたが、きっかけはなんだったのでしょう。

 おばあちゃんとお母さんに、何か恩返ししたいなって気持ちがずっとあって。東京に住んでいるときはすごく忙しかったこともあって、年に2回くらいしか熊本に帰れなかったんです。ある時ふと、「あと何回おばあちゃんやお母さんと一緒にごはんを食べられるだろう?」って思って。近くにいないとできないことってたくさんあるので、やっぱり家族のそばにいたいなと思って熊本に帰ってきたんです。それに自然豊かな場所で子育てをしたいという思いもありました。今、4世代で仲良くにぎやかに過ごせているので、本当にありがたく、幸せですね。

スザンヌさんの写真

―最近、高校に再入学されたことが大きな話題になりました。 再入学を決心されるまでの経緯を教えていただけますか?

 もともと通っていた高校が、本当にありがたいことに、まだ単位を残してくれているということを知って。それでもなかなか決心がつかなかったんですが、コロナ禍ということもあって、熊本にいながらオンラインで授業を受けられるようになったことが大きかったですね。高校を卒業していないことをひけ目に感じたことはないと思っていたんですが、「卒業する方法がある」と知ったとき、「やっぱり卒業しておきたい…」って思ったんです。心のどこかでは、卒業していなかったことを後悔していたのかもしれないって思いました。
 それとやっぱり、子どもの存在が大きいかな。芸能の仕事って、仕事上での苦労みたいなものを子どもに見せることが少ないから、悩んだり、調べものをしたり、そういう親の姿を近くで見せながら、息子と一緒に頑張りたいって思ったのが一番ですね。いまでは小学2年生になった息子と一緒に、家で宿題したり勉強したりする日々を送っています。今日も朝から勉強してきたんですよ! 「勉強、久しぶり!」というより「勉強、はじめまして!」という感じかな(笑)。

―スザンヌさんのブログで、「何かを始めるのに遅いことはない」と書かれていたのがとても印象的でした。

 今日って、自分の人生にとっては「一番若い日」じゃないですか。私も何歳まで生きられるかはわからないけど、「何かをしたい」と思い立ったら、すぐに始めるべきだと思っています。その遅い、早いは、他人ではなくて自分の価値観が決めることなのかなって。だから子どもにも、何でもやりたいと思ったらやりなさいって言うようにしています。

スザンヌさんの写真

―2008年に熊本県宣伝部長に就任された当時と、2015年に拠点をこちらに移されて、いま熊本への思いはどう変化されていますか?

 もうそんなになるんですね!21歳くらいの頃ですね。あの時、熊本への思いや愛情をたくさんの番組で発言させてもらっていて、周りの方にもすごくPRしていたんですよ。「熊本、大好き!」って。実際に県の広報の方や知事に向けてメッセージを送ったりもして(笑)。

 東京の事務所で動画を撮って、「私に熊本県宣伝部長を任せてください!」ってプレゼンしたのを覚えています。これは熊本県民の特徴だと思うんですけど、みんな、本当に熊本のことが大好きです。ふるさとへの愛情とか、いいところを知ってもらいたいという気持ちは、私のなかで自然に備わっていたものなので、その思いは東京に行っても変わりませんでした。
 東京には7〜8年くらい住みましたが、同じマンションに住んでいる人でも、ご近所さんのことは何も知らないという状態で。熊本だったらお隣さんの顔や名前はもちろんわかるし、そういう地域のコミュニティの広さ・深さが当たり前。地元っぽくていいなあと思います。「人との距離が近い」のは、本当に熊本の大好きなところです。

スザンヌさんの写真

―熊本に戻られた翌年に熊本地震が起きました。この経験から、改めて感じたものを教えてください。

 私は前震の時も本震の時も仕事で福岡にいたんです。前震の時は、自宅がある地区がそれほど大きな被害はなかったので、「大丈夫だから仕事に行っておいで」と母に言ってもらいました。そして次の日、あの本震が起きました。6〜7時間かけて車で熊本に戻り、家族とやっと会えた時のことは今でも覚えています。
 父・母・おばあちゃん・私と息子・妹がみんな近くに住んでいるので、一緒に避難所に行ったりもしました。避難所では、地域の方がおばあちゃんに本当によくしてくださったんですよ。
 地震直後も、ひとり暮らしをしているおばあちゃんのところに、近所の若い男の子が駆けつけてくれたんです。彼はおばあちゃんのお友達だったみたいで。エレベーターも使えなかったので、マンションの10階から下までおんぶしてくれたんです。こういう時に、世代を超えて助け合えることのありがたさを感じましたね。

―地震、コロナ、水害と災害が次々と熊本を襲っています。今の状況に思うことはありますか?

 正直、どうして熊本ばっかりって思ってしまいます…。ただ、ひとつひとつ苦難を乗り越えてきた熊本だからこそ、きっとみんなで乗り越えられるとも、思っています。熊本県民の底力を今こそ見せようじゃないか!と。私もボランティアで炊き出しとかに行かせてもらったんですが、逆にこちらがパワーをもらうんですよね。お礼を言ってくださったり、笑顔をもらったり。元気を出してもらおうと思って行ったのに、逆に皆さんからたくさんの元気をもらうんです。

―スザンヌさんが昨年の水害の際に行われていたボランティア活動「ニコニコ大作戦」について教えてください。

 「ニコニコ大作戦」は、令和2年7月豪雨で被害を受けた地域に対する支援活動で、友人やママ友、ボランティアの方々と一緒に、お菓子やおもちゃを被災した小学校に届けました。水害直後は、お父さんもお母さんも泥かきや家の片付けで大忙しだったと思うので、子どもたちにちょっとでも笑顔になってほしいと思って始めたんです。駄菓子屋さんで駄菓子をたくさん購入して、息子と一緒にひとつひとつを箱詰めして。家の中が段ボールだらけになりました(笑)。
 お菓子やおもちゃを届けた子どもたちからはお礼の手紙ももらって。「また人吉に来てください」とか「運動会見にきてください」とか書いてあって。やってよかったなあと思って、すごくうれしかったですね。去年1年かけてすべての小学校に配り終えたので、今度はまた違う活動がしたいねって仲間たちと話をしています。

スザンヌさんの写真

―いつどこで起こるのかわからないのが災害ですが、スザンヌさんの家での「備え」についてお話を聞かせてください。

 今は、防災バッグを自分用と息子用に2つ作っていて、定期的に中身を見直しています。玄関から避難するときの動線上にスニーカーもセットにして置いています。
 東日本大震災のときは東京に住んでいて、災害直後に防災バッグを買って常備していました。その時も、ベッドの横にスニーカーとワンセットで置いていたんですが、熊本に戻る時に人に譲ってしまったんですよ。それで熊本地震後に改めて、そろえ直したんです。
 水や食料には賞味期限があるので、定期的に入れ替えています。防災食のパンをミルクで溶いてオムレツに入れた「パンオムレツ」をつくったり、防災食を使ったアレンジレシピなんかも作ったりしています。

 防災グッズでおススメしたいのが、ビニール袋。手袋の代わりにもなるし、食器にかぶせて使えば繰り返し使うことができるし、とくかく万能なんです。うちでも、小さなサイズから大きなサイズまで防災バッグのなかに入れています。小さなものは箱ごと。あとはソーラーで使えるラジオ、懐中電灯。子どものバッグには、その時期の着替えや日持ちするお菓子を。熊本地震の直後はミルクやオムツも入れていた気がしますが、子ども用の防災バッグは大人と違って成長に合わせて内容を変えていくことも大事ですね。

スザンヌさんの写真

―普段から、「備え」の大切さについてご家族で話されたりはしますか?

 やはり熊本地震を経験して、意識がぐんと高まりました。それまでは避難所も、避難経路もちゃんと把握していなかった。でもハザードマップを家族で見たり、防災に関するパンフレットとかを読んだり、知識を得たりすることで、「もしも」の時の行動を計画しておくことができると知りました。そうしておけば、「いざ」という時にパニックにならずに、自分自身や大切な人の身を守ることができるんですよね。県からのたより6月号では、この自分自身の避難行動計画、マイタイムラインのことが紹介されていますので、ぜひ読んでみてください。

―昨年からは、新型コロナウイルスの影響で情勢ががらりと変わりました。お仕事やプライベートでの変化はありましたか?

 去年、緊急事態宣言が出たときは息子が小学校に入学するタイミングだったんですが、約2カ月間ずっと一緒にいました。思えば、普段ずっと仕事で忙しくさせてもらっていたので、ここまでべったりと一緒にいる期間は本当になくて。出産以来かなってくらい。息子といつも一緒にいられて、いろんな話ができて、私にとってはなくてはならない2カ月だったんじゃないかなって今では思っています。
 それと今、靴のプロデュースをしているんですが、試作品の色を見たり形を見たりするのに、これまではリモートでは絶対無理!と思っていたんです。それが東京に行けなくなって、最初は四苦八苦しながらも、熊本にいながらも進められることがわかって。オンライン会議やリモートでのやりとりも増えましたし、熊本―東京で仕事を進められるというのは、いまの私にとってすごく大きいことで、自信にもつながりました。

―2度の大災害を経て、今なおコロナ禍を乗り切ろうと熊本の人たちは頑張っています。そんな県民の皆さんに一言お願いします。

 一進一退の一年が過ぎて、多分疲れが出ているときだと思うんですよね、今はまだ終わりが見えないし…。でも、このキツイなかでも楽しみを見つけて、家でできる範囲で新しいことにチャレンジしたり、どうにか健やかに過ごしていただけたらいいなと。私の場合は高校再入学もそうですし、去年の自粛期間中に始めたウクレレがかなり上達しました(笑)。ピンチはチャンスと思って、いまできること、興味があることを突き詰めてほしいなって思います。

 

スザンヌさんの写真

スザンヌ さん
Profile
1986年熊本県生まれ。10代後半から芸能活動を開始し、バラエティ番組で一躍お茶の間の人気者に。2008年には熊本県宣伝部長に就任。2014年1月に長男を出産し、現在は熊本で子育てに奮闘しながら、テレビ出演、シューズブランドのクリエイティブディレクターなどマルチな活動を続けている。熊本愛・家族愛あふれるインスタグラムのファンも多数。今年春には高校に再入学したことも話題に。

​​