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日奈久は人も羨むほどに栄えた(明治~大正~昭和)

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0008400 更新日:2020年8月1日更新

海の干潟の中で発見された温泉は、孝子物語とその効能の二重効果で噂は噂を呼び、浜辺の日奈久はみるみる温泉の町と変貌していきます。

明治33年の日奈久

 薩摩街道が拓け、藩営温泉として浴場も整い文化文政の全国ランクにも登場し黄金時代を迎えたことはすでに述べたとおりです。前は海、後ろには急崖の櫛のような櫛山、狭いまちに湯客がひしめきます。江戸時代の末には温泉町につきものの花街も出現し、湯女「オキン」の評判がさらに日奈久の湯のまちの名声を高めます。明治に入ると宿も増え名士たちも「どこよりも日奈久」とやってきます。(→日奈久を綴った文人たち
 日清戦争(明治28年)後の街の様子は上図が物語っています。当時は15軒ほども宿がありました。やがて交通の発達と共に、いや栄えていきます。日中戦争時でも旅館は陸軍病院の保養所となり二葉山らが慰問に訪れたりで日奈久は愛され続けました。

旅館 八代屋の画像
旅館 八代屋

旅館 金波楼
旅館 金波楼(現在の金波楼は右段参照)

現在の金波楼の画像
現在の金波楼

旅館 長洲屋の画像
旅館 長洲屋

旅館 鏡板屋の画像
旅館 鏡板屋

旅館 新屋の画像
旅館 新屋

劇場曙座
劇場 曙座

鳥瞰図(中原文二描)
明治33年の鳥瞰図(中原文二描)

西南戦争

海軍上陸の地

官軍が日奈久に上陸した。(当時)海岸に面していた八代屋の柱に官軍の流れ弾の弾痕が残っている。

明治22年の商いぶり

旅籠(はたご) 25
生塩屋(ぶえん) 13
穀物商 12
豆腐屋 9
酒類商 8
材木商 4
麹屋(こうじ) 3
薪炭商 2
古着商 2
桶卸小売 1
履物店 1
古物商 1
酢屋 1
雑貨小売 19
竹細工 11
砂糖小売 9
菓子商 8
小間物店 5
呉服商 6
金物商 2
諸仲買 2
陶器商 2
びん付小売 1
紙小売 1
敷物商 1
合計 149

(単位:戸)

戸数356戸のうち商家が149戸と42%を占めていた。(前出「日奈久の歴史」より)

交通の変遷

 明治20年代
 人力車が八代~日奈 久間走る

 明治28年(1895)
 日奈久港に防波堤が 出来、天草、芦北沿岸 の定期航路賑わう

 明治29年(1896)
 門司~八代間鉄道開 設
 乗合馬車が八代~日 奈久間営業始まる

 明治41年(1908)
 現肥薩線開通
 当時鹿児島本線は(門司)八代~人吉で、日奈久に駅はなかった

 明治42年鉄道唱歌
 八代宮ある八代は/八代鮎の名産地/ゆあみを望む旅人には/日奈久温泉道からず

写真提供 ・山海荘(故浦川源次郎氏撮影) ・金波楼


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