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今から約140年前、260年間続いた江戸幕府(えどばくふ)がなくなり、新しい政治(せいじ)が始まりました。外国との交流が盛んになり、工業(こうぎょう)・産業(さんぎょう)・商業(しょうぎょう)すべてが大きく変化しました。
この後、八代には数多くの工場(こうじょう)が建設(けんせつ)され、工業都市(こうぎょうとし)へと成長し続けています。
外国との交流が盛んになったこの時代、外国の文化がたくさん日本に入ってきました。着物の文化に洋服の文化が加わったことで、靴(くつ)やマントと着物を一緒(いっしょ)に身につけることが流行したのもこのころのことです。
球磨川(くまがわ)の支流・前川の右岸(うがん)にある港。江戸時代には「沖番所(おきばんしょ)」がおかれていました。明治時代以降は、大型企業(おおがたきぎょう)が進出(しんしゅつ)。天草との定期旅客船(ていきりょかくせん)の発着点(はっちゃくてん)として賑(にぎ)わいました。毎週日曜日の早朝には朝市が行われています。
住所/熊本県八代市蛇篭町
Tel/0965-33-8513 (八代市商工・港湾振興課)
八代市の中心市街地(ちゅうしんしがいち)の商店街。本町1丁目から3丁目まで約700メートルの直線(ちょくせん)のアーケードでつながっています。大きさは熊本県内では2番目。今も地域の人の生活の台所として賑わっています。
住所/熊本県八代市本町
Tel/0965-33-8513(八代市商工港湾振興課)
1867年の明治維新(めいじいしん)以降(いこう)、鉄道や航海(こうかい)の発展(はってん)により、港を持つ八代は、多くの工場ができました。1890年には九州で第1号のセメント工場が操業(そうぎょう)。この工場は熊本県で最初の近代工場(きんだいこうじょう)でした。その後、海岸の干拓(かんたく)や田んぼだった地域には、紙や肥料(ひりょう)を作る工場、酒を作る工場などが次々につくられ、八代は近代工業都市(きんだいこうぎょうとし)と呼ばれるようになりました。
また、いぐさの生産もますますさかんになって、商店街(しょうてんがい)や日奈久温泉(ひなぐおんせん)は熊本県内でも一番にぎやかな場所となりました。
しかし、1973年の「オイルショック」の後は、公害問題(こうがいもんだい)なども発生したこともあり、一時のにぎやかさも少しずつ落ち着きました。そして今、九州新幹線(きゅうしゅうしんかんせん)の開通(かいつう)はこれからの人々の希望(きぼう)をになっています。