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今から約670年前、鎌倉幕府(かまくらばくふ)の政治の後、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)による「建武の新政(けんむのしんせい)」が始まりました。
その後、日本の武士は南朝(なんちょう)と北朝(ほくちょう)に分かれて争いました。
この時代を「南北朝時代(なんぼくちょうじだい)」といいます。
八代は、九州での南朝方(なんちょうがた)の最期(さいご)の中心地でした
やっくんは当時の武士(ぶし)のふだんの着の大紋(だいもん)というかっこうです。ちろちゃんのかっこうは、十二単(じゅうにひとえ)のように裾(すそ)が長い、袿(うちぎ)という衣装(いしょう)です。
五家荘平家の里 平家伝説館
(ごかのしょうへいけのさと へいけでんせつかん)
平家落人ゆかりの品々が展示されている資料館。平家が栄えたころの都(みやこ)の華(はな)やかさを彷彿(ほうふつ)とさせる建物です。神楽(かぐら)や能(のう)、平家琵琶(へいけびわ)などが披露(ひろう)されることもあります。
住所/熊本県八代市泉町樅木
Tel/0965-67-5372
開館/8時~17時30分 (1月~3月は9時~17時)
悟真寺(ごしんじ)
南北朝時代に懐良親王の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うために創建(そうけん)されたと伝えられる寺。境内の御霊殿(みたまでん)には懐良親王がまつられています。懐良親王自筆の霊牌(れいはい)や懐良親王画像なども伝わっています。
住所/熊本県八代市妙見町2472
Tel/0965-34-8201
日奈久温泉(ひなぐおんせん)
今から600年前に発見されたと伝えられる温泉。江戸時代初期には細川家(ほそかわけ)の藩営(はんえい)温泉に指定され、参勤交替(さんきんこうたい)の途中(とちゅう)に島津氏(しまずし)もよく利用したそうです。現在は20軒の旅館があります。
住所/熊本県八代市日奈久
Tel/0965-38-0267 (日奈久温泉観光案内所)
岩崎神社(いわさきじんじゃ)
永正2(1505)年、八代地域でい草の栽培を始めた岩崎主馬守忠久をまつる神社。
毎年4月と11月には神社大祭(じんじゃたいさい)が行われています。
住所/熊本県八代市千丁町太牟田
Tel/0965-46-1101 (八代市千丁支所産業振興課)
1185年、壇ノ浦(だんのうら)の戦いに敗れた平家の人々が山深い里に逃げ込んだという伝説が、日本各地に残っています。五家荘(ごかのしょう)もそのひとつです。
その後の1334年、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)によって行われた建武の新政(けんむのしんせい)で、八代の領主として名和氏(なわし)がやってきました。名和氏は古麓(ふるふもと)の山の下に城を建て、その山の下に城下町を作りました。その後、名和氏と相良氏(さがらし)の争いが何度も起こり、相良氏が八代を治めるようになりました。相良氏は、たくさんの水路を作りました。この水路のおかげで球磨川(くまがわ)の水を水田に運ぶことができるようになり、八代地域でもたくさん米がとれるようになりました。
またこの頃、球磨川河口の徳渕津(とくぶちのつ)に港がつくられ、今から約500年前には大きな港町になりました。この港町では中国との貿易(ぼうえき)が盛んに行われました。